登山と自己実現の仕方

今日(?)は、ちゃんと登山してきました。馬鹿疲れた。

帰宅して起きたら23時過ぎで一日終了。少しばかりの抵抗をしてみるも、力及ばず撃沈。

すなわち、特に何もしていない。が、山を歩いてる間に色々考えた。

 

いつからか、自分という人間をコンテンツとすることで、何をしても稼げる状態を作りたいと考えていた。何かの要素では人には勝てないから、自分という総体で評価されるようになれば勝ちだと、そう考えていた。

けれど、どうだろうか。

自分という存在をコンテンツとするということは、批判を人間性レベルのものとして受け入れなければならないということになる。

多分、自分は批判を受け入れるには繊細過ぎるし、コントロールするには鈍感すぎる。

善し悪しは別として、自分は弱いんだよな、まだまだ。些末なことで傷つき過ぎる。そして、それを外に出して誰かを傷つける。

人は傷つくときは繊細過ぎて、傷つけるときは鈍感すぎる。そういう風にできているのだ。

これを克服するには、圧倒的な強さを手にするか、その環境を避けるかしかない。

僕の場合は自らではなく、コントロールできる分身に戦わせることが有効なのだと感じた。要するに、自分じゃなくて、自分の「作品」で戦うということ。

勿論、作品が傷けられれば、自分も傷つく。けれど、あくまで自分ではない。し、本質的な批判を行う人は減ると思う。

例えば、芸能人の思想を叩く人はいても、小説のキャラクターの思想について叩く人は少ない。

 

P.S. 追伸に何か書こうとしてたのだが、忘れてしまったのでまた今度書こう()