おもひでのさびしさ

現状分かりやすくやることがなくて、先の見通しもたちにくい今。

どうしても、懐古の時間が長くなる。

中学のときの掃き溜めみたいな居場所だったり、高校のときの研究班だったり、大学前半のバ先だったり。

とりわけ、中学時代ってのは、割と自分の性質を特徴的に表してる気がする。

中二病。頭だけは人並み以上。苦手なことに突っ込み努力(アピール)するM気質(?)等々。

やっぱ、10年経つと、落ち着いた目線で振り返れる気がする。

あの時の不快感だったりも、大体は自分の不器用さと、自分と周囲の精神年齢の低さで処理することができる。今振り返ることで、トラウマが少しずつ解けていった気がする。

 

まぁ、中学の話はグチャグチャするんで、今の話をする。とりあえず、バ先は割と俺の人生にとってはかなり色々な要素が詰まった場所だったように思う。

宗教的な熱量、密な人間関係、多角的な視点、人を変える快感。

たくさんの未知、と、もしかしたら、この先出会うことがないかもしれない感覚を得た。

絶対に無理ではないけれど、あの空気感であのメンバーと絡むことは無いだろうし、徐々に薄れていくんだろうなと思う。

それが自然な流れだとは思ってるが、やはり寂しい。

同期や個人の関係は連絡を取り続ければ保てるかもしれないけど、バラエティー豊かなメンバーによる集団の関係を保つのは不可能なんだろうなって。